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【緊急】遊漁船、観光船の救命いかだ等、設置義務化に対しての私見

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私は遊漁船事業者ではありませんが、海やボートに関わる一事業者として私見を述べさせていただきます。

正直な感想を言えば、「いい加減心の底からウンザリしている」

・極一部の非常識な人間のせいで、大多数のまともな人間が損をする。

・将来や全体利益より、身内の保身や利益追求を最優先する人間が強権を振るう立場にいる。

・現場を知らない人間が的外れな意見を言い、その無理を成り立たせる為に不正や事故が起きる。

あらゆる業界でこんなことが繰り返され続けた結果、今日この国の現状があるし、知床の事故だって起きている訳です。

表記の決定も結局根底にあるのはこのパターンで、人命や事故防止を最優先事項に考え抜かれた結果には到底思えません。

近々、知床で起きた海難事故をきっかけとして、今後遊漁船や観光船に救命いかだ等(※「法定無線設備の見直し」「非常用位置等発信装置」「スライダー付きの改良型救命いかだ等」)の設置が義務付けられるそうです。

一部特例などもあるようですが、行政から通達される内容は非常にわかりにくく複雑で私自身も全内容を正確に把握しきれていませんので詳しくは個別に検索して頂くか、直接関係機関にお問合せ下さい。

ただ、一読した範囲では多くの遊漁船、観光船事業者が何かしらの出費や不便を被る事は確実で、逃げ道としては廃業か闇営業くらいしか私には思いつきませんでした。

今でも闇事業者(?)は少なからず存在すると耳にするので、このルールが適応されれば今後更に増えると思います。

まず前提として人命は尊重されるべきだし、私も自分や家族の命を絶対に失いたくはありません。

今回知床で事故に遭われた方々や、そのご遺族のお気持ちは想像するだけでも相当に辛いものがあり、私はあまり長い時間このことに関して考える事が出来ません。

被害に遭われた方たちには一切落ち度がない一方、当該事業者が事故を起こした経緯には納得できる点が何一つありません。

私は第三者ですが、報道されている内容が全て真実だとすれば非常に強い怒りと憤りを感じます。

では、仮に時間を巻き戻せるとして、被害に遭った方達を全員救えた方法は何だったでしょうか?

そのような観点から今後の対策を検討した場合、私は救命いかだの搭載が最適解だとは思えません。

仮に私が家族同伴で乗船していたとして、あの荒れる海と低水温環境の中、子供たち含め全員いかだに無事乗り込み救助が来るまでの時間生存できたでしょうか?

私には全員が助かる確信が持てません。

 

私が思うに今回の事故の原因は、海と他人の人生を非常に軽く見ている人達が観光船事業を営んでいた事自体にあると思っています。

 

・天候不安を理由に漁師や同業者が誰も出向しない日に単独出航する。

・海上保安庁がすぐに救助に来られない海域に旅客を乗せて出航するのに、トラブル時の現実的な対応を想定していない。しかも現場は低水温。

・不具合を放置し、のちに重大なトラブルが起こる可能性を容易に予見できる状態の船体で、そのまま危険な海域に出港する。

これらは私が趣味の釣りに出かける時でさえ恐ろしくて絶対にやらないような事です。

普段ボートに乗らない人達にはこれらがどれだけ常識外れな事なのか想像が難しいと思います。

わかりやすく陸上での事柄に例えると、「これから天候が悪くなるからやめろと周囲に言われている状態で、軽装&体調不良で雪山登山ツアーを顧客を連れて強行。結果全員遭難&低体温症」のような状況だと思います。

この例えをそのまま用いて説明すると今回の決定は、「今回の事故を受け今後、ツアー事業者は顧客の低体温症を防ぐために、国の認定マークを付けた高くて重い毛布を買い、常に背負い続けなければ営業を認めない」と言った感じでしょうか?

こう考えるとだいぶ人命優先の本筋からズレた事を言っているとわかってもらえると思います。

確かに毛布(イカダ)があれば助かる命はあったかも知りませんが、ただそれでは根本的な問題解決にはなりません。

では、命を最優先に考えた最適解とはいったい何でしょうか?

それは、極一部の悪質な事業者にこのような危険な営業そのものをさせないよう行政が徹底して取り締まる事だと私は考えます。

事故が起こってから助かるかもしれない可能性にかけるよりも、事故が起こらない方が最も命が失われずにすみます。

事故後に行った特別監査と類似のものを仮に事故前に行える仕組みであったなら、あの会社は営業停止となり当日出航できず、誰一人犠牲になる事はなかったのです。

あの日のあの事故に関わった人達のなかで一体誰にどれほどの過失があったでしょうか?

被害者の方々には当然一切の落ち度はありません。

事故を起こした事業者は逆に落ち度だらけです。

当時行政にも一部批判が集まっていました。その批判すべてが正しいか否かは別にしても過失や改善点がゼロとは言えない状態だと私も思います。

では全国の遊漁船観光船事業者はどうでしょうか?

よくよく考えれば、そもそもあの日の事故に関しては一切関わっていないのです。

それなのに、本来行政がやるべき仕事の肩代わりとして、なぜかそれよりも効果の低いであろう改善と負担を強制的に求められているのです。

これの決定を話し合う場に彼らを参加させなかった事も含め非常に意図的なものを感じます。

 

では行政はなぜ根本的な問題解決に取り組まずこのような事をするのでしょうか?

まず事故を受け世の批判に晒されたことで何かしらの変化をした実績が求められます。

なぜなら次回似た事例が発生した時に何もしていなければ、何もしていない事自体が批判の対象になるからです。

しかし自分たちの仕事のやりかたを変えるのは途方に暮れるような労力がかかる事を、自分事なので簡単に想像できるわけです。

私は行政内部の事はほとんど何も知りませんが、大きな組織の中で何かを変えるのは非常に困難な事だという事は社会人であればだれでも検討が付きます。

法律の問題、メンツの問題、様々な利害関係者の問題、リソースの問題。

何かを変えれば誰かが得をする一方、損をする人もいて、事あるごとに責任を追及されかねない。

私自身も行政側のルールが変われば割を食う可能性が高く、仮にボートに自動車同様の検査を義務付けられるようになれば現状では対応が難しく、事業継続にとって非常にリスクの高い判断を迫られる事になります。

このように言うほど何かを変えるのは簡単ではない事くらいわかります。

しかも上記のような出来ない言い訳はどんなに丁寧に説明しても、とどのつまり「金」「手間」「責任」などに集約され、それらと関連の低い人達からは「人命と比べると些細なものだろう」と一蹴され理解してもらえません。

では一体どうすればいいか?

おそらくこれが今回行政が本当に解決したかった問題の本質であり、検討の結果として

そのジレンマや労力を全国の遊漁船、観光船事業者にそのまま肩代わりさせ、自分たちは大きな変化を避けつつ世論の批判も回避する。

という結論に至ったのだと私は予想しています。

そう考えると会議の場に、最初から損を押し付ける側の事業者を呼ばなかったことは非常に理にかなっています。

スタートから解決したい問題の本質が違うのです。

最重要は人命ではなく身内の損得。

事故を起こした会社の社長も自身の利益のために、乗客の安全に関してまともな提言をする従業員を次々に排除していったようですが、今回の件も構造的には何も変わらないと思います。

 

 

 

命は地球より重いとよく言われていますが、実際はお金や様々の物事との両天秤にかけられている現実は私もわかっています。

そのウエイトがあまりにも欲に振りすぎているために件の事故が起きたと思うのですが、その匙加減には今日に至るまで明確な基準は出来ていません。

いままで金やルールで補えない部分は現場の作業者や事業者の勘や経験、道徳や自己犠牲などの非常にあいまいなもので何となく担保されてきたのだと思います。

今後そう言った目に見えない資源は加速度的に減っていくのでルールを厳密にしていく必要性は感じますが、問題はルールを作る側も私欲にまみれており、またそれを罰する仕組みが事実上機能していない点にあると思います。

商売上、余計な敵は作らず、事なかれでいた方が自分にとって都合がいい事は十分理解していますが、私含めた国民一人一人のそんな打算的な考えが現状を形成しているのだと思い、この記事を書きました。

現在この件に関して政府はパブリックコメントを募集しています。

文章を書くのは大変労力のいる作業ですが、「めんどくさい」「間違って恥をかきたくない」「敵を作りたくない」などの理由で放置していると今回の件に限らず、今後全てが本当に取り返しのつかない状態になってしまいます。

私たちは一人一人の人間として、もっともっと理不尽に対して怒るべきだと最近様々な報道に触れる中で強く感じています。

 

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